top of page
検索

『 共生』


 2年半前、“こぼれたミルクを嘆いてもしょうがない。”  (  It is no use crying over spilt milk.  )という諺を引用し作品を展開した。

 間違いを起こしても検証も反省もせず、根本的な問題解決を避け、只々仕方ない事とやり過ごしてきた人類の無分別な歴史に対して警鐘したかった。

 その時、取材に来た新聞記者から「火も電気もない生活に、今更どうやって戻ればいいんだ?」と問いただされ、閉口せざるを得なかった。

 作品を通じて其れに答えられていない自分の力量の無さを憾んだからだ。

 2年半経った今でもあの時の反芻は続いている。


 あれから世界は何か変わり始めたか。

相変わらず溢したミルクの放棄は止まらない。其れどころか溢れ落ちたミルクは私たちの足元の自由を奪い、人間のみならず、すべての弱者をも苦しめ死に追いやっている。

そして今在る豊かさと引き換えにミルクのコックは閉められない。


 其れでは私は何か変わったか。

今までと変わらず、お日様の下では社会の小さな歯車としてミルクを溢し続け、夜な夜なアトリエに引きこもっては懐に隠し持ってきた小石を温めているだけだ。

いまだ火も電気も不自由なく使い続けている。


 変わったことがひとつあるとしたら、あの日以来私の頭の中にコバチが棲みついたこと。種を超えた運命なのか、其れとも相利共生の相手を間違えただけか、頭の内側で盛んに羽音を響かせている。

 今、私はそんな彼が救世主に思える。だから彼を有り難く受け入れ、共に生きていきたいと思っている。


 今度あの記者に会ったら、いたずらに歴史を遡る示唆や不甲斐ない自分に対しての弁解はしない。 1匹のコバチが今までの人間中心の歴史概念を塗り替えくれる事だけを作品を通じて説明したいと思う。  

                                 2023年5月

                       

閲覧数:4回0件のコメント

最新記事

すべて表示

聴講生からの便り

「お前か、お前のツレかどちらかというのならこの舟に乗せてあげてもいい。でも、つがいでと乞うのはあまりにもむしが良すぎないか?何故なら、お前等はその自由を私たちに許してこなかったではないか。」 いつか愛玩する動物達にそう宣告される日が来るのでしょうね。 先日,リモートではありますが、ウイーンの美術学校で光栄にも私の作品について講義をする機会を頂きました。後で知ったのですが、その際、聴講生のひとりがチ

『 We can’t go back 』

この星にはじめて杭を打った男のことを考えた。 何が目的だったのか? 何の躊躇も無かったのだろうか? 打ち込んだ後何を感じたか? 今となっては当たり前の日常と化してしまったが、そんな事する生き物は 人間以外にいないという事だけは忘れてはいけない。

『 悲しき玩具 』

犬がひっぱっているのは何ですか?と会場でよく聞かれました。今回のテーマに沿い併せイチジクやビワなどの植物かと思われた方もいらっしゃいましたが、全く違います。 ずばり、壊れた原子炉格納容器(沸騰水型)です。 私がそう説明すると大概の方は黙り込んでしまいます。 あんまり触れたく無い、出来れば記憶の外に置いておきたいことに触れられてしまったという気持ちもあるようですし、わざわざ見に来たのに悲しい気持ちに

  • Instagram
  • Facebook
  • YouTube

©️美術作家日下正彦のホームページです。写真文章など転載の際は一言ご連絡ください。

bottom of page